世界を変えることはできますか?
昨日、最終回を迎えたドラマの中の台詞です。
今回のクールで、私が唯一見ていたドラマです。
初回から一話も逃さず、毎回録画し、バイトが終わってから夜中に見ていました。
...
いじめなんて、ほんの些細なきっかけで始まるものだと思いました。
昔、いじめが話題になった時にこんな台詞がありましたね。。。
『いじめられる側にも問題がある』
この台詞を、真っ向から否定するドラマだったよぉに思います。
問題があるのは、やはり、、、いじめる側の人間なのです。
そして・・・我関せずを決め込んでいる人間。
いじめていた相手が死んでしまい、罪の意識が芽生えるのであれば、その人間はまだ正常に戻れる可能性があると言えるでしょう。
、、、が。
このドラマでは、その事実さえも存在しませんでした。
「対象がいなくなったから、次を見つける」そんな感じ。
そして、自分が同じ立場に立たされる事で、初めて罪の意識を感じるのです。
そんな人間が口にするわけですよ。
『いじめられる側にも問題がある』と。
そぉ。
‘彼等の中では’きっと、問題がある。いじめられる側に。
でも、それはなんとも自分勝手な・・・いじめるためだけに存在している問題なのである。
いじめられる側に問題があるわけではない。
いじめたいがために、いじめる側が‘意図的に見つけてきた’問題なのだ。
たとえば、今回のドラマ。
イジメの発端となった一言は・・・・・「お前、雑巾臭い」。
そして、いじめの対象が変わった時の合図は、机の上に置かれた消臭剤。
完全なる言いがかりである。
、、、が。
彼女は、「自分では感じないだけでは?」と思ってしまうわけだ。
「私が気付いてないだけで、私は臭いのかな?」と、感じてしまうわけだ。
結果。
彼女は、横を通り過ぎただけで感じるほどの香水をつけ。
トイレに行ったら、ものすごく長時間手を洗い続けるよぉになる。
...
論点がズレた(^^;
『世界を変えることはできますか?』
なかなか難しぃ問題提起だと思います。
最初に聞いた時は、「無理でしょ」と思った、私でも。
でも、、、最終回を見て思った。
「もしかしたら、変える事は出来るかもしれない」、、、と。
もちろん、「私が変えてやる!」なぁ~んて、無謀な事ではない。
よぉは、一人一人の気の持ちよぉって事。
みんながそぉ思っていたら?
そして、そんな考えの人が集まったら?
・・・変わるよぉな気がしませんか?
いや。思ってる‘だけ’では、変わらないかもしれないな。
自分に出来る事から、、、どんな小さな事でもいいから、行動に移せたら・・・何かが変わるかもしれない。
劇的な変化なんて無理だろぉ。
でも、、、いつか来る未来のために。
もしかしたら、もぉ自分が存在していないかもしれないより良い未来のために。
いつか生まれてくる、自分の子孫達が暮らすであろぉ未来のために。
私が今出来る事を、見つけたいと思う。
。。。
ECOについて、もぉちょっと真剣に考えなくちゃなぁ・・・と思う今日この頃。
「私一人がやったって。。。」と思ってたけどね。
そぉゆぅ考え方がいけないんだと、考えさせられたよぉな気がします。
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